行者橋(ぎょうじゃばし)



 知恩院の古門前に近い白川に架かる行者橋の本名は古川町橋という。橋の長さは12m弱、川の中に2本の石柱よりなる橋脚が3ケ所立てられ、その上に幅30?強の切石が2列並べられた、幅70?弱の極めて簡単な橋である。もちろん、手摺も何もついていない。日頃は通学の子供達や買物に行く婦人達が渡る生活の橋である。また、祇園祭のとき、お稚児さんが渡り、粟田神社のお祭りには氏子達が松明を持って渡る。
 この橋が行者橋と呼ばれるのは、比叡山の回峰行を行う行者がこの橋を渡るためである。回峰行は百日単位で比叡の峰々を歩く。その間に1回、京都の町々を巡る「京都切廻り」の行が義務づけられている。真夜中に比叡山の無動谷を出発、雲母(きらら)坂を下って赤山禅院に入る。そこから、真如堂、平安神宮、青蓮院を巡って、この行者橋を渡り、八坂神社へと向かう。河合神社がこのコースの終点で、そこから再度赤山禅院へ戻り、比叡山へ帰っていく。この間歩き通す距離は80?余り、不眠の行である。
 千日回峰を目指す行者も「京都大廻り」の行のとき、行者橋を渡る。大廻りの行は、すでに800日の回峰を終え、阿闍梨(あじゃり)となった行者が、百日かけて京都市中を歩く。そのコースは「切廻り」の場合とほぼ同じであるが、下鴨から荒神口の清浄華院へ向かい、ここを宿坊とする。翌日は同じコースを逆廻りで比叡山に戻ることになっている。
 行者橋がいつこのような形の石橋になったのかは明らかではない。橋本経亮(つねあきら)の随筆『橘窓自語』の中に、天明6年(1786)の粟田の祭礼の際のこととして「白川の下流、知恩院のあたりに一本橋という2本の石を渡した橋を剣鉾をもって夜半に渡る」とあることから、この橋の前身はそうとう古くまで溯ると考えられる。現在の橋は、京都市の橋梁台帳では明治40年に架けられたことになっている。
 白川は比叡山の南西麓から発し、南流して鴨川に合流する小さな川である。花崗岩質の白砂を流すため、白川という名が生まれたといわれる。この白砂は京都の庭作りにはなくてはならないものとなっている。白川は水があまりに澄んでいるため、魚が住まないと言われるが、実際は上流部の岩石にラジウムが含まれているため、沢蟹だけで、魚は住めないらしい。現在の白川の流れは一旦疎水に入り、三条通の北側で分流して下流へ向かう。三条通りの白川橋から下流は古くは小川と呼ばれた派川の一つであった。
 行者橋の上下流には古門前橋や梅宮橋などの石橋が架かり、これらの石橋群と川床を切石で整えられた美しいせせらぎ、そして川端の柳並木によっていかにも京都らしい風景が演出されている。

最寄り駅:京阪京津線・東山三条
周辺の名所:知恩院、青蓮院、八坂神社